苦労は買ってでもしろ。好きならそれができるはずだ。好きと楽は違う。
だけど、多くの人にとって、楽なことを好きだと思っているように見える。そんな「好き」は、坂道を転げ落ちるようなものだ。
好きを貫けば道がひらける、という人がいる。そういう人が言う「好き」は、坂道を登るような行為を言う。苦労も多いけど、乗り越えたその先に広大な大地が開けることを知っている。だから、喜んで坂道を登る。
楽なことを好きだと思っている人の「嫌い」は、坂道を登るような行為のことじゃないか?苦労をしたくないから、楽な方に流れる。そして、ドツボにはまる。もう、どこにも転がり落ちることができなくなり、どうにもならない苦しさを味わい、にも関わらず、そこから抜け出すすべを持たず、苦しみ続ける。
好きの反対は無関心、という。ならば、好きを貫くのも、嫌いを貫くのも、同種のはずだ。どうにもならないと思っているのなら、嫌いを貫いてみるのもいい。
嫌いを貫くとは、腫れ物に触るように、「嫌い」を避けることじゃない。いろいろなことを避けてきたからこそ、どうにもならない状況に陥る。嫌いなことに向き合い、受け入れ、乗り越える努力をする。それを、貫くという。
人生に、遅すぎることはない、と私は信じている。